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2026-07-20 17:19:20 +07:00
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"title": "蜘蛛の巣の刀",
"content": "断ち切ろう。"
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"title": "蜘蛛の巣の刀",
"content": "糸一本も残らぬように、総て斬り裂き、燃やし尽くして。"
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"title": "蜘蛛の巣の刀",
"content": "蜘蛛の巣を。"
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"title": "蜘蛛の巣の刀",
"content": "あなたたちを。"
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"title": "蜘蛛の巣の刀",
"content": "総て抉り出そう。"
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"content": "私が断ち切れなかった、\n断ち切らなければならない紐が鮮明に見える。"
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"content": "同時に、向き合いたくない光景が\n私へ波のように押し寄せてくる。"
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"content": "戻りたくないという虚しい願いだけを\n貝殻のように残して、"
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"content": "もつれてしまった時間が意識を呑み込む。"
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"content": "ここにはカレンダーがないけど、私には何日経ったのか分かる。"
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"content": "時計がなくとも、今が昼か夜か分かっている。"
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"content": "でも…なぜ金庫に閉じ込められていなければならないのか、\nなぜ私が出られないように、おかあさんとおとうさんたちが阻むのか。"
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"content": "それだけは分からない。"
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"content": "罰なのだろうか?\nそうじゃなきゃ…私がいらなくなったのだろうか?"
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"content": "解けることのない疑問を抱いたまま。"
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"content": "いつか終わることは知っている、けれど\nその終わりがいつなのかだけは分からない一日が続いた。"
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"title": "蜘蛛の巣",
"content": "こ、これからは\nこわくても声をだしません。"
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"title": "蜘蛛の巣",
"content": "すきなものも全部おぼえます。"
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"title": "蜘蛛の巣",
"content": "剣術も…早くおぼえます。"
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"title": "蜘蛛の巣",
"content": "いたくても逃げません。"
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"title": "蜘蛛の巣",
"content": "だから…出してください…。"
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"title": "蜘蛛の巣",
"content": "おとうさん…おかあさん…。"
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"content": "そうして、あらゆる闇に鈍くなっていく頃。"
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"content": "何度叩いても引っ掻いてもびくともしなかった扉が、\n虚しくなるくらいにあっさりと開いた。"
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"title": "蜘蛛の巣",
"content": "お、おとうさん…わたし…これからは…。"
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"content": "期待はなかった。"
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"content": "優しい言葉や、心配そうな眼差しなど、\n廊下の端から端のように縁遠い話だったから。"
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"content": "ただ、理由を知りたかった。"
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"content": "なぜ金庫の扉を塞いだのか、私が何を間違えたのか、\nこれから何をすればいいのかを知りたかった。"
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"content": "けれど…それすら過ぎた疑問だったと言わんばかりに。"
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"title": "蜘蛛の巣の親方",
"content": "もつれなかったんだな。"
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"title": "蜘蛛の巣の親方",
"content": "二日後に、もう一度やってみましょう。"
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"content": "乾いた感想を一つだけ残して、\n親方たちはそれぞれの廊下へ戻っていった。"
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"content": "理由もなく続く暴力のくびき。"
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"content": "自分の嗜好に私を嵌め込もうとする気まぐれ。"
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"content": "楽しげに手を拍きながら眺める観照。"
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"content": "素材として扱われる凄まじい苦痛。"
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"content": "四本の糸は、私の首を締め上げてくる縄だ。"
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"content": "互いに違う方向から絶えず引っ張ってくる、あまりにも…。"
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"content": "忌々しい縄だ。"
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"content": "だから、私がいなければ彼らは生きていけない。"
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"content": "既に捨てられていて、繋いでいく次がない。"
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"content": "だから斬る。"
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"content": "私を斬り捨てるためには、\n他の何かを斬らなければならないから。"
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"content": "目的もなく、ただ振るえるだけ\n見えるもの総てを斬る。"
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"content": "見たことのない地獄は描き出せない、愚鈍な親方。"
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"content": "あの者は、自分の画筆の先が固く凝り固まっていることにも気付かず、\n乾いた着想を、死に絶えた創意を、強烈に求めていた。"
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"content": "目を開けるたび、いつだって私は死の淵を踏み\n彼岸の上に立っている。"
},
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"content": "親方が丹念に私の廃石を抉り取り、画用紙の上に地獄の惨状を塗り重ねるたび、\n喉は<ruby=しわが>嗄</ruby>れて裂け、心臓の鼓動は胸壁を破ってしまいそうなほど速くなる。"
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"content": "無惨な壮観のための演出。"
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"content": "このまま命が尽きると思えるほど凄惨な痛みだが、\n親方は私の身体の限界をあまりにもよく知っていた。"
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"content": "死なない程度に、意識を失わない程度に、\nけれど最も苦しい悲鳴を上げられるように私を、素材を削り取る。"
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"content": "だから。"
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"content": "だから、身体にできた青い痣が疼くたびに、\n滅多切りにされた記憶を手繰ってみる。"
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"content": "これはいつの痛みだろうか。今なのか。遠い昔なのか。\nまだ来ていない、いつかの日なのか。\n今というものはあまりに短く、口にするだけで過ぎ去って過去になってしまう。"
},
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"content": "それでも痛みは、傷は、傷痕は過ぎ去らない。\n見えるところに、時には見えないところに留まる。\n痛みはいつも少し遅いか早いから、私は今の痛みを永遠に知らないまま生きていく。"
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"content": "身体を捨てていっても、花を惜しむ蝶のように。"
},
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"content": "どれほど打ち据えても、離れない蝶のように。"
},
{
"id": 59,
"content": "蝶は離れなかったのではなく、離れる術を忘れたのでもなく、\nただ、そもそも習ったことがなかったのであろう。\n孵化した蝶は蜘蛛の糸に掛かり、ただ羽ばたくだけの翅は、名ばかりの翅である。"
},
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"content": "この蝶は、私は、私である術も、飛ぶ術も知らず、\n過ぎ去ることもできず、此処に留まる。"
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"content": "その事実を親方は誰よりもよく知っている。\n刹那の迷いもなく、私に暴力を振るうのは\nおそらくそのためなのだろう。"
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{
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"content": "殴りたいだけ殴っても、\n触れたものを手当たり次第投げつけても。"
},
{
"id": 63,
"content": "胸の痛む言葉を浴びせても、\n私が決して逃げられないことを親方は知っている。"
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"content": "ただ、毎日、親方の怒りが静まるまで打ち据えられながらも\n私はまだ、その怒りがどこから来たのか、いったいなぜ私が\nその全ての暴力を受け止めなければならないのか分からない。"
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"content": "理由のない憤怒が、傷痕のように苦痛と共に私へ刻まれ続ければ。"
},
{
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"content": "苦痛と共に刻まれ続ければ、分かることがある。"
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"content": "彼岸で生きるということは、暗い夜を\n灯火一つに頼って生きようとすることと変わらない。"
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"content": "私はどの時間へでも行けたけど、どの時間からも\nこの廊下を抜け出すことはできなかったから、\n私は生きる理由を、未練を、足枷を、灯火を見つけようとした。"
},
{
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"content": "あるときは外部講師という名で訪れた人から、\nあるときは床に落ちている物から。"
},
{
"id": 70,
"content": "だがそれは、やがて誰かの心に背いたという理由だけで私から遠ざかり、壊れる。\n私に憐憫を抱いたものも、私が憐憫を抱いたものも、\n親方の気まぐれ一つで全て壊される。"
},
{
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"content": "野蛮な歓喜の中で削り取られた、いや滅多切りにされた、\nいや斬られ、断ち切った…それでも断ち切れない。不安で不快な残留感。"
},
{
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"content": "些細な不快感すら堪えられず、気に入らないなら\nすぐ壊さなければ気が済まない、幼くも卑怯な精神。\n親方はただ生きているだけで私を取り巻く総ての糸を絡ませ、もつれさせた。"
},
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"content": "そういうときはいつだって、私は親方が通り過ぎた空っぽの部屋で\n溢れ出す涙を堪えきれずに流したけれど…。"
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"model": "료슈",
"teller": "ヨシヒデ",
"title": "蜘蛛の巣の刀",
"content": "……。"
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{
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"content": "明日の私が、すでにあらゆる悲しみを横取りし\n使い果たしてしまったからだろうか。"
},
{
"id": 76,
"content": "この日だけは、泉が<ruby=か>涸</ruby>れたように涙が出なかった。"
},
{
"id": 77,
"content": "聞こえてくる。錆びついた重い足枷の音が。"
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"content": "足首の下あたりから聞こえてくるわけではない。"
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"content": "一番深い記憶の奥から、がさがさと聞こえてくる。"
},
{
"id": 80,
"content": "私を幾重にも取り囲むものには、偽りが満ちている。\n恐怖を覆い隠すように、苦しみに漬け込まれた苦しみで塗り重ねられたものたちが、\n私の人生に絡みつき、解けないほど複雑にもつれていく。息が詰まるほど緻密に。"
},
{
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"content": "出ないと。\n出たい。"
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"content": "切実に思うだけでは、扉は開かない。"
},
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"content": "隙間一つない闇。肥大した静寂。この小さな金庫には、大きくなってしまった私は入れない。\n外へ出たところで、あの狭い部屋に私の居場所はない。\nそれでも私は狭い部屋に生き、蜘蛛の巣に生き、この小さく暗い金庫に入ってきた。"
},
{
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"content": "私の小さな世界、私の窮屈な部屋、永遠に出られない鳥籠。\nもしかすると懐かしいかもしれない場所。私を歓迎してはくれない場所。\n私はなぜ出ようとしているのだろう。扉は今も開かないのに。"
},
{
"id": 85,
"content": "外へ出たところで、誰が私を歓迎してくれるというのか。"
},
{
"id": 86,
"content": "その疑問に続く恐怖を覆い隠すように、\n苦しみに漬け込まれた苦しみで塗り重ねられた残像たちが、\n私の人生に絡みつき、解けないほど複雑にもつれて押し寄せる。"
},
{
"id": 87,
"content": "息が詰まるほど緻密に。\n幾重にも取り囲んだ残像は、人生は、私は。"
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{
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"content": "私は、私から生まれ、なす術もなく育っていく。"
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"content": "<i>時間のもつれが起きたんだな、ヨシヒデ。</i>"
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"content": "そこでようやく、か細い光が差し込んでくる。"
},
{
"id": 91,
"content": "私が迎える始まりと終わりが、痛むばかりの糸たちが\n針のように目を刺す。"
},
{
"id": 92,
"content": "忘れるだけでは失えない。失ってこそ忘れられるものもある。"
},
{
"id": 93,
"content": "私は私を取り巻く総ての糸を断ち切らなければならない。"
},
{
"id": 94,
"content": "親方たちを斬らなければならない。"
},
{
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"content": "何一つ浮かび上がれないように、誰一人空を見上げられないように\nいかなるものも私を呼べないように。"
},
{
"id": 96,
"model": "료슈",
"teller": "ヨシヒデ",
"title": "蜘蛛の巣の刀",
"content": "……。"
},
{
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"content": "頭の中が軽い。"
},
{
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"content": "刀を、阿頼耶識を幾度となく振るったせいか\n数多の時間を占めていたおぞましい記憶が、どうにも浮かんでこない。"
},
{
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"content": "私の身体を包んでいた重い糸が、抉り取られたかのように。"
},
{
"id": 100,
"content": "息を吸って吐き、手を握って開く小さな動きにさえ\n爽快感を覚える。"
},
{
"id": 101,
"content": "ヨシヒデ。ヨシヒデ。ヨシヒデ。"
},
{
"id": 102,
"content": "親方たちが絶えず私の名を呼ぶ。いったい何を失ったら、\n私が苦痛にもがいていたときには一言すら声をかけなかった親方たちが、\nあれほどまでに痛切になるのだろうか。"
},
{
"id": 103,
"content": "数万回も鼓膜へ食い込んできた音だというのに、\nその響きは不快にしか感じられない。"
},
{
"id": 104,
"content": "だから私は、その苦痛が終わるのを待った。"
},
{
"id": 105,
"content": "いや、この表現には明らかな隔たりがある。\n苦痛が終わったところで、私に何ができるのだろう。"
},
{
"id": 106,
"content": "終わった苦痛は、家具一つ置かれていない空き部屋にすぎない。\n親方が読んでくれた絵本のように、結末の後には何も残らない。\n今さら結末と向き合ったところで、何が変わるのだろう。"
},
{
"id": 107,
"content": "その答えを見つけられなかった私は、苦痛の中に閉じ込められて<ruby=うろた>狼狽</ruby>えた。\n壁を掻き、泣き声を呑み込み、時には何の表情も浮かべないまま、\nどうしていいか分からず途方に暮れた。"
},
{
"id": 108,
"content": "ある日、親方が読んでくれた絵本。"
},
{
"id": 109,
"content": "翼を作って高く飛び上がり、眩い光に向き合ったにもかかわらず終わらなかったその物語の\n結末では、翼は全て燃え、飛び上がった者は波へ墜ちて呑み込まれた。\nその不快で恐ろしい悲劇に辿り着くまで、親方の物語は止まらなかった。"
},
{
"id": 110,
"content": "その憂鬱を忘れるために別の絵本を差し出しても、変わるものはなかった。"
},
{
"id": 111,
"content": "手当たり次第、私の意志で選んだと思った絵本は、どれも一様に\n悲劇的な結末で終わった。選んだにもかかわらず、選んだものなど何もない。\nこの狭い世界で選べるものは、総て親方たちが並べたものだけだ。"
},
{
"id": 112,
"content": "そう、どこへ向かっても蜘蛛の巣の中だ。\n蜘蛛の糸の真ん中だ。"
},
{
"id": 113,
"content": "この湿った重い絶望を振り払う方法は眠りへの逃避だけだったが、\n不意に訪れる瞬間たちのせいで、私は眠りに就けず苦しむしかなかった。"
},
{
"id": 114,
"content": "いや。もしかすると、今眠りに就けないんじゃなかった。\n私は昨日眠りに就いたのだから、今日は眠らなかっただけ。"
},
{
"id": 115,
"content": "今日の次は明日ではなく昨日だから、\nやがて眠りに就く瞬間も、望まずとも訪れるのだろう。"
},
{
"id": 116,
"content": "そうして、避けることも防ぐこともできない瞬間を迎えながら\nところどころ霞んだ青い照明の中で目を開ける。"
},
{
"id": 117,
"content": "全ての物語には結末がある。"
},
{
"id": 118,
"content": "どれほど絡み、もつれても\n結局見てきた世界は同じだから、一つだから。"
},
{
"id": 119,
"content": "絡まってしまった総ての時間が寂しくないように。"
},
{
"id": 120,
"content": "私を、私が寂しくないように。"
},
{
"id": 121,
"content": "結末を読まなければならない。\n知っている悲劇を呑み込まなければならない。"
},
{
"id": 122,
"model": "료슈",
"teller": "ヨシヒデ",
"title": "蜘蛛の巣の刀",
"content": "あなたたちは知らないだろうけど、どの糸の上でも\n総ての俺は俺を手放さなかった。"
},
{
"id": 123,
"model": "료슈",
"teller": "ヨシヒデ",
"title": "蜘蛛の巣の刀",
"content": "だから、俺を取り巻くこの蜘蛛の巣の終わりも始まりも、\n今はもう分かっている。"
},
{
"id": 124,
"content": "生まれたから、存在するから、記憶されたから迎えた小さな世界。"
},
{
"id": 125,
"content": "此処で経験したあらゆる風景には、いつも親方たちがいた。"
},
{
"id": 126,
"content": "私は一日一時たりとも、彼らと離れたことがない。"
},
{
"id": 127,
"content": "同じ時間の中で、私の記憶は\n蜘蛛の巣と親方たちにすっかり汚れてしまったから。"
},
{
"id": 128,
"content": "当然、この記憶さえ憎たらしく、\n刀を振るうことにためらいなど覚えなかった。"
},
{
"id": 129,
"model": "료슈",
"teller": "ヨシヒデ",
"title": "蜘蛛の巣の刀",
"content": "俺の世界は、あなたたちで埋め尽くされていたから、\nただ死へ向かって育っていく苦痛だけの世界になったんだ。"
},
{
"id": 130,
"model": "료슈",
"teller": "ヨシヒデ",
"title": "蜘蛛の巣の刀",
"content": "このしぶとい悲劇に幕を下ろそう。"
},
{
"id": 131,
"model": "료슈",
"teller": "ヨシヒデ",
"title": "蜘蛛の巣の刀",
"content": "総て…断ち切ろう。"
},
{
"id": 132,
"content": "斬り捨てるたび、あなたたちが抉り取られた後の沈黙が嬉しいから。"
},
{
"id": 133,
"content": "不意に訪れる時間の中でさえ、親方たちの声が薄れていく。"
},
{
"id": 134,
"content": "総てが断ち切られる。\n真っ白に燃え、世界から剥離される。"
},
{
"id": 135,
"content": "そうして砕けた記憶には、刹那だけが残る。"
},
{
"id": 136,
"content": "悲鳴も、足掻きも全て\n刹那だけを残して認知の向こうに埋もれる。"
},
{
"id": 137,
"content": "糸を断ち切る。"
},
{
"id": 138,
"content": "記憶を断ち切り、親方を断ち切り、私を断ち切る。"
},
{
"id": 139,
"content": "人の総てがばらばらに切り刻まれ、<ruby=から>空</ruby>になっていく。\n総てを埋めるはずの総てまでもが<ruby=から>空</ruby>になっていく。"
},
{
"id": 140,
"content": "望むこともなく。"
},
{
"id": 141,
"content": "振り返ることもなく。"
},
{
"id": 142,
"content": "筆舌に尽くし難い荘厳が訪れる。\n筆舌に尽くし難い歓喜が訪れる。"
},
{
"id": 143,
"content": "筆舌に尽くし難い虚無が訪れる。\n筆舌に尽くし難い苦痛が訪れる。"
},
{
"id": 144,
"content": "筆舌に尽くし難い。"
},
{
"id": 145,
"content": "末路にて。"
},
{
"id": 146
},
{
"id": 147
},
{
"id": 148
},
{
"id": 149,
"teller": "???",
"title": "親指 コンシリエーリ",
"content": "プロジェクトがようやく終わったか。\nふう…それでもゴッドファーザー様がお望みだった通りに作られましたね。"
},
{
"id": 150,
"teller": "???",
"title": "薬指 マエストロ",
"content": "美しいな。\n移せるものなら、メインギャラリーに展示したいほどに。"
},
{
"id": 151,
"teller": "???",
"title": "小指のとある星",
"content": "…天殺星。\n総ての存在と時間を一つとして認識し…重畳する光を放つ星。"
},
{
"id": 152,
"teller": "???",
"title": "小指のとある星",
"content": "その星そのものが、目の前に浮かんでいるみたいだ。\nまるで真珠のように悲しい光だな。"
},
{
"id": 153,
"teller": "???",
"title": "親指 コンシリエーリ",
"content": "それより、完成させた功績をどう扱うべきか悩ましいですね。"
},
{
"id": 154,
"teller": "???",
"title": "親指 コンシリエーリ",
"content": "蜘蛛の巣プロジェクトを完成させた誰かがいたはずですが\nどうやらもう、あの中に入ってしまったようですから。"
},
{
"id": 155,
"teller": "???",
"title": "中指 長姉",
"content": "まあ、捨てるべきものを捨てたんだろうさ。"
},
{
"id": 156,
"teller": "???",
"title": "中指 長姉",
"content": "これは、ゴミ箱だろ?"
},
{
"id": 157,
"teller": "???",
"title": "中指 長姉",
"content": "きっと、捨てて当然の醜悪なものたちがあったんだろう。"
},
{
"id": 158,
"teller": "???",
"title": "人差し指 伝令",
"content": "…指令が届いた。\nこの現象は三日後から人差し指が管理する。"
},
{
"id": 159,
"teller": "???",
"title": "中指 長姉",
"content": "人差し指。テメェら―"
},
{
"id": 160,
"teller": "???",
"title": "人差し指 伝令",
"content": "かはっ…!"
},
{
"id": 161,
"teller": "???",
"title": "親指 コンシリエーリ",
"content": "この公共財を一本の指が欲しがるなど、\nいかなる状況でも口に出してはならない言葉だった。\n伝令の死などどうでもいいというのか?指令が何を望んでいるのか分かりませんね。"
},
{
"id": 162,
"teller": "???",
"title": "薬指 マエストロ",
"content": "どうせ三日が過ぎる前に、これを分け合えという指令が来るかもしれないのだから\n今から熱くなる必要はないだろ。"
},
{
"id": 163,
"teller": "???",
"title": "中指 長姉",
"content": "この伝令は…あのゴミ箱に捨てておこうぜ。\nゴミはゴミ箱に入れないとな。"
},
{
"id": 164,
"teller": "???",
"title": "小指のとある星",
"content": "…ほんのひと時であれど、星が一層輝くでしょうね。"
}
]
}